中1 松江塾ママブロガー 50代ママとひとりっ子男子の日常 

2024年3月より松江塾オンライン本科デビュー

登園しぶりの話

おぷちゃで登園しぶりの話がでていて

懐かしいなあと思い、我が子の時のことを

思い出した。

息子は、0歳7か月から保育園、朝7時半から夕方6時半までと超ロングタイムで預けていた。

 

2歳の頃は、数えきれないくらい登園しぶりがあった。

泣き叫ぶ子を小脇に抱えて、反対の手には着替えの入った手提げを持って…。

うん、辛かったな〜〜。

 

我が子が産まれたのと同時に主人が会社をやめた。

大手企業の営業マンだったが、頑張りすぎちゃってトップの方針についていけなくなったとか。精神的に病んでたな。

なかなか次の仕事が起動にのらず、経済的な不安から、私は仕事をやめられなかった。

 

 

子どもが年長さんの夏くらいに激しい登園しぶりがあった。

明らかに表情が暗かった。私も子どもも。

 

子どもに「生まれ変わりたい」と言われた。

今でも覚えている。

 

主人は、仕事はしていたが長続きせずで、

転職を繰り返していたので、この時も私は仕事をやめることができなかった。

 

保育園は、1日休ませたり、半日でお迎えにいったりして なんとか続けられた。

子どもと一緒にいてあげられない自分を責め続けた。

小学校に行けなかったらどうしようと怖くて、

小学校の不登校専門のカウンセラーのアドバイスを受けた。

1日5個子どもの良いところを見つけ、子どもに伝える が課題になり、半年続けた。

結果、子どもが明るくなり私も元気になった。

 

小学校に入ってからは、低学年は順調だった。

4年生になって学童クラブを嫌がるようになった。

長期の休みは、おばあちゃんの家へ行き、学校がある時は1人で留守番になるので、塾と少年団ミニバスで放課後の予定をうめた。

 

5年生の夏休みにおばあちゃんの家へ行くのを嫌がり、毎日家で留守番した。

 

冬休みの頃、子どもから深刻な表情で、

「1人で過ごすのがつらい。」と言われた。

直感で、『今 子どもと向き合わないと取り返しがつかなくなる』と思った。

「絶対なんとかするから春まで待って」と言って子どもと約束した。

 

主人の仕事が起動にのってきていたので、

自分の仕事のボリュームを減らすことにした。

 

昨年から、学校給食の調理員としてパートで働いている。

ほぼ子どもに合わせて一緒に時間を過ごせるようになった。

 

6年生の間、一緒に勉強した。

塾でやっている簡単な英語が全然理解できず、

国語の文章題も弱い。どうやって説明してあげれば分かるのかとネットで調べていたところ、

真島先生のブログに出会った。

 

今年の春にめでたく転塾。

そして現在に至る。

 

いろいろあったけど、過去は振り返らない。

子どもの今とこれからに全振りだ。

今は最高に幸せ。